10'04/07 追悼の意を込めて『NPB新人研修 木村拓也コーチ講義内容』


お疲れさまでした。


高校時代は4番を打っていて、捕手でした。
19年間プロ野球選手をやって、最後は2番・セカンドになった。
そのいきさつを話そうと思います。

1990年のドラフトで、僕は指名されませんでした。
当時は6位までに指名されなかった選手は、「ドラフト外」で自由競争でした。
僕は高校通算で35本塁打打っていて、宮崎県のお山の大将で、ドラフトで自分の名前が出ないでショックでした。
ドラフト外日本ハムに入団する時にスカウトから
「入ったら横一線だから。プロの世界は自分が頑張って結果を残せば、一軍に上がって大変な給料がもらえる」
と言われました。

でも入ってみるとちょっと違っていた。
新人のみなさんはキャンプを1か月やって、「これならやれるな」と思った人と、「すごい、ついていけないかも」と思った人がいるでしょう。
僕はキャンプ初日にシートノックでボール回しをやった時に、「とんでもない所に来た」と思いました。
プロのスピードについていけない。
ドラフト外というのもなるほどな、これはすぐにやめて田舎に帰らないと、と思いました。



当時、開幕前に60人という支配下登録の枠がありました。
僕は登録されなかった。
新聞に任意引退選手と出て、故郷から「2か月でやめるのか」と電話がありました。
今の育成選手は、二軍の試合に出られるし、シリウスやフューチャーズがある。
僕の時には支配下からもれたら、試合に出られず、ひたすら練習。
「何しにプロ野球に入ったんだろう」。
今の育成は、野球をやるチャンスがある。
どんどんアピールして頑張ってほしい。



2年目に、一軍にけが人が多く出ました。
二軍の野手が一軍に呼ばれて、二軍監督から外野を守るよう言われました。
試合に使ってもらえるならと外野手をやり、まず第一歩を踏み出しました。
そしてファームで1番を打っていた選手が米国に野球留学し、他はけが人も多く「1番がいないから、お前が打て」とコーチに言われ、何て運に恵まれているんだろうと思いました。
そして9月、一軍にけが人が多く、初めて一軍に上がりました。
結局、2年目は3本ヒットを打ちました。



3年目は開幕一軍でしたが、ほとんどが守備要員でした。
1か月ほどで二軍に落ちて、それ以降は一軍に上がらずでした。
3年目のオフに転機がありました。
9月末から12月末の4か月間、ハワイのウインターリーグに参加し、イチロー選手といっしょでした。
1歳下のイチロー選手に衝撃を受けました。
4か月間同じ部屋で、朝起きたらいない。
朝からウエートトレーニングをしていたのです。
このウインターリーグイチロー選手は首位打者を獲りました。
自分はこんなんじゃだめだなと思い、イチロー選手が僕の野球人生を変えてくれた一人になり、感謝しています。



4年目は、1年間一軍にいましたが、守備要員でした。
しかしやっと「野球選手になれたな」と思っていたのですが、広島にトレードになった。
正直「何でおれが」と思いました。
広島は当時、野村、江藤、前田、音、緒方、金本の名選手ぞろい......僕に入り込むすきはなかった。
移籍1年目は数試合に出て7打数で安打なし。
「これはクビになるな」と思い、「どうやったらここで生きていけるか」と考えました。
一軍のレギュラーの中では、セカンドが確か34、35歳のベテランだったので、セカンドをやるしかないと練習するようになりました。

移籍2年目は、一軍を行ったり来たり。
それまでは右打席でのみ打っていましたが、左投手の時には代打で出られるけれど右投手だと代えられる。
どうしたら代えられないようにできるか。
左打席で右投手が打てるようになればと、スイッチヒッターに取り組みました。
自分が生きていくためには必要だと。



スイッチヒッターになって、1つ気づいたことがあります。
例えば右打者の時、右投手の外の真っ直ぐと左投手の外の真っ直ぐは同じではなく、角度が違う。
スイッチヒッターは、練習は人の倍やらないといけないが、右打席の右投手のような、自分の体に近いところから来る球がなくなりました。
球種が半分になったようなものです。
打つのが一番難しいのですが、体に近いところから遠いところに逃げていく球がなくなった。
それに気づいてからは打てるようになりました。
プロに入って9年かかって、10年目に136試合フル出場しました。
野球選手の平均寿命が8、9年で、自分がそこまで生き残れました。



今、みんなは希望にあふれて「レギュラーを獲って生き残ってやる」と思っているだろうが、必ず壁にぶつかる。
そんな時、少し言葉で考えると、僕みたいに生き残れる。
挫折してあきらめるのか、そうでないのか、自分で考えないといけない。



そして34歳の時、トレードでジャイアンツに来ました。
広島が若手選手への切り替えを図っていて、僕は出場機会が減りそうだったのですが、子供はまだ小さく、家のローンも残っている。
「トレードに出してください」と球団にお願いしたのですが、決まったのが(戦力が充実している)ジャイアンツ。
「出番を求めているのに、何でジャイアンツなんだろう」と思いましたが、入団してみると、けが人が続出してチャンスがもらえた。



最後にジャイアンツに入って、3連覇や日本一を経験し、勝つ喜びを知った。
今までは自分の事だけを考えていました。
プロ野球選手になると自分が成功するために、どうしても自分の事ばかり考えてしまう。
しかし勝つ喜びはものすごくて、言葉では言い表せない。
みなさんも、自分が活躍して優勝するんだという気持ちを持ってほしい。



自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。
こうやるしか思いつかなかった。
それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。
「レギュラーになる、エースになる」だけではない。
巨人の藤田宗一投手は、中継ぎ登板だけで自分と同じ歳までやっている。
それで飯が食える、それがプロ野球
「俺が一番うまい」と思って入団して、一番得意だった事がうまくいかない。
それもプロ野球
その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。
投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか。


出典 Yomiuri Giants Official Web Site



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